北海道、札幌や小樽で撮影をした。

ズーカラの周りにいる仲間やスタッフさん達が本当にいい人たちばっかりで、愛をめちゃくちゃ感じながらの撮影だった。その愛を表現したくて編集を頑張った。じゃないと札幌まで行って撮った意味がない。
特に、初期にずっとズーカラのMVを撮っていた森谷さんには大感謝。すっごいいい人で、本当は今回も森谷さんが監督で撮ったらよかったのかなと思った。あとから。

 北海道はほんとに大好き。

2009年、大学を留年してまで卒業したのに就職もできず、かといってアルバイトもろくにせず、当時やってたバンドも解散して、ひたすら消費者金融に借金しまくって友達にもお金を借りて、家賃を延々と滞納しながら、ずーーっとダラダラ暮らしていた。
自分の曲に映像をつけたくて趣味でやっていた映像制作だったが、バンド仲間だったneco眠るのENGAWA DE DANCEHALLというMVを作ったらそれがものすごーくウケて、スペシャのアワードにもノミネートされたりして色んな人から嬉しいレスポンスがたくさんあって、お金も何もなくてどん底だったけど「オレはやったぞ!」と初めて思えた。
そんな時、『好きです』っていう件名のメールがきた。
北海道の宇佐見祥子さんという人からだった。
『ENGAWA DE DANCEHALLのMVが大好きで作ったひとに興味を持ったので連絡した。自分が関わってるアートプロジェクトの中の企画のポストカードのコンテストに参加して欲しい。』っていう内容だった。それでENGAWAのMVの好きなシーンを切り取ってポストカードに印刷して応募した。数ヶ月後、応募したことも忘れて相変わらずお金も全くなくてホテルの配膳のバイトに初めて行って、一発目からお客さんにお茶をぶっかけてしまって大怒られしてクタクタに疲れた帰り、京都駅の構内をトボトボ歩いてると電話がかかってきた。それは宇佐見さんからで、なんとポストカードのコンテストでオレが最終選考まで残ってるって。そんで、このコンテストの大賞の特典が札幌のギャラリーで個展を開催できる権利なんだけど、もし受賞した場合、札幌で個展はできますか?って。
もちろんできます!って二つ返事でOKをして電話は終わった。
で、なんだかんだで俺が本当に賞をもらって本当に札幌のギャラリー創で展示をさせてもらえる事になって、そこから宇佐見さんとはちょくちょくやりとりをした。フライヤーを作ってくれたり、グッズの打ち合わせをしたり。チャットで色々打ち合わせをして楽しかった。
相変わらず働かず、お金も全然なかったけどチャットモンチーのMVを作れる事になってそのギャラでまたなんとか息を吹き返したりしつつ、北海道での個展のために絵を描いていた。ベニヤ板10枚を並べた全9mの巨大な絵を家で描いていて、狭すぎたのでアパートの廊下で描いてたら管理人のおばあちゃまがやってきた。管理人のおばあちゃまはめちゃくちゃいい人で、俺は5年も6年も家賃を滞納してたのにニコニコしながら部屋にやってきて、「坂本さん、うちの草むしりを手伝ってくださらない?」と言って、1000円くれたりするくらいいい人だった。で、その管理人のおばあちゃまがやってきて、ベニア板を見て「コレは何なの?」って聞いてきたから「今度北海道で個展をやるんで絵を描いてるんです」って言うと「あなたに絵を描く才能があったなんて知らなかったわ!なんだか嬉しいわ!!!」と、なぜか超感激していた。「時計がグニャっとなっているみたいなのを描いてるの?」「イヤ、ドラえもんみたいなヤツです。」とか話した。
そんでそのあとも廊下でベニヤにペンキを塗ってたら、また管理人のおばあちゃまが今度はアパートの掃除に現れて、また喋って「頭の中にドンドンイメージが湧いてくるの?」「ハァ」とか言ってて、掃除を手伝ったりして、結局なんやかんやあって俺の『THE DVD』をあげる事ができた!!!喜んでた。
そうこうしてるうちに、個展の日はやってきた。
お金はまったく無いけど北海道までどうやって行こうか。と考えて、フェリーが一番安いだろうと思って舞鶴から小樽までフェリ―で20時間かけて行った。(実際はスカイマークが一番安かった。)
宇佐見さんとギャラリー創の本庄さんが小樽まで迎えにきてくれて、小樽の回転寿司(回転寿司といっても回転寿司の域をはるかに超えた最強の寿司だった。)や、夜景が見えるところに連れて行ってくれた。
宇佐見さんは俺の北海道の滞在中ずっと面倒みてくれて、色んなところに行った。面白そうな人の展示を見に行ったり、白老の飛生アートコミュニティのイベント『飛生芸術祭』にも参加させてもらえたり、白老に行く途中に寿司屋で詰め合わせを買ってそのへんにゴザを敷いて食べたり。
宇佐見さんは俺と同い年、タマビを出てまた北海道に戻って北海道大学で働きながら飛生アートコミュニティーの活動をしてる人で、本当にいい人でみんなに好かれてる人だった。
宇佐見さんのおかげで、初めての北海道で誰も知り合いがいないのに一度も寂しい気持ちにならなかった。宇佐見さんがいい人だから、そこから出会った人たちも本当に全員いい人だった。思い出すだけで泣けてくる。本当に大好き。
自分が本当に何も無かった時。学校も仕事もお金もバンドも彼女も何も無くて、居場所は家賃を6年滞納してた京都の部屋だけのどん底時代。でも、俺の映像を良いと言ってくれる人がチラホラ増えてきて、もしかしたらあとちょっとで何者かになれるかもしれなかった。そういう時に声をかけてくれた。

その後、家賃を滞納していた京都の家に怖い人がきてそこを追い出され、大阪で大学時代の先輩のヤングさんの家に居候させてもらい、映像が少しずつ仕事になってきて、その頃出会った今の奥さんと付き合って、結婚して2012の年明けに東京に引っ越した。
一時SNSが嫌になって、TwitterもFacebookも全く見ないようにしてた時期があったんだけど、その時に飛生の人から突然メッセがきた。
宇佐見さんが亡くなったという報せだった。
ガンになって闘病してたらしい。そんな事全く知らなかった。SNSを避けずにちゃんと見てたら、連絡してたら。お見舞いに行きたかった。後悔してもしきれない。本当に今でも後悔してる。

飛生の人たちは宇佐見さんの意思を継いで、ずっとアート活動をしている。

宇佐見さんとは2012年だか2013年に宇佐見さんが東京に来た時に原宿で会ったのが最後だった。「坂本くんの奥さん、絶対かわいいでしょ。そんな気がする。」とか言ってた
Music Video Staff
Director:Shota Sakamoto
Camera:Ryosuke Moritani, Chihiro
Stylist:Taiji Goto
Hair&Make-up :Shiho Nagasawa
SpecialThanks:Tsukasa Sasaki, STUDIO シーラカンス

You may also like

Back to Top